私説・ドラえもん 〜作品の雑考察〜

その1 ドラえもん>のび太? 〜最強の射手はのび太?〜

Q ダメ小学生・のび太の特技は?

 ・・・と問われれば、「あやとり」「昼寝」「0点」を差し置いて挙げられるのが射撃能力です。
 劇場版でもこの特技が生かされることが多く、そのせいでよけい印象に残るのかも知れません。
 それはまあ当然かも。冒険中に昼寝やあやとりでピンチを脱することは出来そうもありませんしね。

 ご近所レベルの戦いはもちろん、それ以外の戦歴たるもすさまじいものです。
 異星の殺し屋と対決したり(「のび太の宇宙開拓史」)、アメリカ西部開拓時代で圧倒的多数の無頼ガンマンを倒したり。(「ガンファイター・のび太」)
 特に西部の街での対戦では実銃を用いていますし、実際に複数の相手を負傷させています。もちろん重傷です。乱暴者のジャイアンでも比較になりません。
 年端のいかない子供がこんな死線ばかりくぐり抜けていては、人生観に影響が出てこないのか不安になってしまいますね。今の日本でここまでの実戦経験を有する人間なんて傭兵以外にいないような気もします。
 それでいてアフリカの少年兵のようにならないのですからこのグータラ小学生、見かけ以上に精神的にタフなのかも知れません。あるいはドラが密かに薬物投与か何かで精神安定を図っているとか。

 さてこののび太。
 それでも射撃能力は完璧ではありません。長物類(ライフル・ショットガン等)ではこの能力を生かせていません。
 たとえば「実物射的」。外してばかりでした。片やドラえもんは一輪挿しの花の茎を一撃で命中。意外なドラえもんの射撃能力の高さを認識させるエピソードでした。

 実際、ドラえもんも射撃シーンは多いのです。西部劇ファンだった作者の影響もあるのでしょう。
 大冒険で空気砲を担当するのは、もっぱらドラえもん。
 石器時代でマンモスに捕らわれたのび太をハンドガンで倒したのもドラえもん。
 果てはツモリガンでドラえもんを撃とうとしたのび太をタッチの差で倒したりもしています。
 天才級と言われるのび太を撃ち倒せるのですから、ドラえもんもなまじの腕前ではありません。
 まあ、ドラえもんはロボットですし、電子頭脳にFCSだの射撃用のデバイスドライバーだのが組み込まれている可能性も否定できません。

 え?民生用のロボットにそういう機能は必要ないって?
 その割には衝撃波ピストルだの熱線銃だの光線銃だのジャンボ・ガンだの、果ては原子核破壊砲なんて物騒な飛び道具を多数所有しているようですが・・・。
 こういう得物を持っている以上、それを運用する能力は必要でしょう。いったい。22世紀社会ってどうなっているんでしょうね。




その2 ノビスケ宅のタイムマシン 〜さようならドラえもん?〜

「ドラえもんはいつ22世紀に帰るのか」
「最終回はどうなるのか」

 ファンの間ではずっと囁かれつつも、その謎は作者がそのまま天国まで持って行ってしまいました。

 どの段階でのび太の成功に見切りをつけて、未来世界に帰ることが出来るのか。
 これがそもそも疑問ですね。人生の成功に見切りなんてつけられるんでしょうか?
死ぬまで分からないんじゃ・・・

 そもそもドラえもんが来たことで、のび太の人生が本来より良いものになっているのかどうかあやしいですよね。
 未来の道具で助けられていることもありますが、かえって騒動に巻き込まれる回数が増加しているような気もします。
 ドラえもんによって成長を助けてもらっているのか、七難八苦を与えてもらっているのか。
 実は野比家の味噌汁には「苦労みそ」が密かに添加されているのではないかと疑ってしまいますね。

 たいたいドラえもんの存在意義って何なんでしょうか?
 第1話で大見得を切ったような『教育係』という感じはしませんよね。のび太両親だってそうは見なしているようでもないですし。
 せいぜい友達、よくて兄貴分。教育係と呼ぶにはドラえもん自身の行動の水準があまり高くありません。
 むしろ彼の意義は野比家に居座って、のび太の人生コースを曲げること」のものなのじゃないかと。

 となれば、22世紀に帰還なんかしない方がいいでしょう。ずっと野比家にいればいい。
いや、もしかしたらずっと居たのではないかと思わせるような事象もあるのです。

 中学生ののび太がタイムマシンでやってくる話があります。(「ガッコー仮面参上」)となれば、まだドラえもんはいるのでしょう。
 さらに高校生ののび太もやってきています。まだドラえもんは野比家在住らしい。
 大学生ののび太がやってきたエピソードはありません。連れてきた話はあったけれど。この前後に未来に帰還した可能性もあり得ます。

 しかし20世紀へノビスケがタイムマシンでやってきているのです。それも1人で。
 あの時代、まだタイムマシンまでは発明されていないようです。となると、それはドラえもんの持ち物の可能性が高い。
 さらに50歳前後の初老ののび太がやってくるエピソードもあります。(「45年後・・・」良い話です。)
 ・・・こうなるとドラえもんはのび太が死ぬまで野比家にいた可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
 彼自身、野比家の家族的な扱いですし、のび太の結婚相手はしずちゃんですから小舅として嫌がられる可能性は低いし。
 思い返してみれば、ノビスケは21世紀でタケコプターを使用しています。ジェットモグラなんてロボットも使用していました。「睡眠圧縮剤」も服用してましたね。
 21世紀に実用化された可能性もあるのですが・・・ドラえもんの出した道具と考えると違和感が無くなります。
 その割にはドラえもんが物語の前面に出てこない?たしかに新のび太宅はしばしば登場していますが、ドラえもんの姿は見えませんね。
 当面の懸案だった、剛田ジャイ子との結婚を阻止できた訳ですから、あとはそうがんばって動く必要もなく、悠々自適の生活を送っていたのかも知れませんね。ガールフレンドのネコはたくさんいるようですし、そういう生活習慣はそうそう変わらないような気もします。


 これは私の仮説なんですが・・・実はこのまま22世紀・セワシの時代まで野比家に居るのではないか、と。
 ちょうど洋画『アンドリューNDR114』みたいになっていてもおかしくありません。ノビスケがのび太に比べて格段に逞しいのはドラえもんの幼児教育の賜物なのかも。
(その割には成績はパッとしないようですが。)

 事実上、最終回はあり得なかったのではないのか。これが私の結論です。




その3 ジャイ子の名前はジャイ子

 ジャイアンの本名は剛田武。これは有名です。
ではその妹・ジャイ子の本名は・・・となるとどうもはっきりしていません。
ですが私はあえて「ジャイ子・本名説」を採りたいですね。

そもそもあの世界、あだ名を持っているキャラクターはほとんどいないのです。のび太もスネ夫も本名のまま。
源しずか嬢のみ「しずちゃん」と呼ばれていますがこれは略称と見なした方が良いでしょう。
例外はジャイアン=剛田武のみ。彼だけなんです。あの世界では例外的な存在です。
(ほかにも「コーシャク」と呼ばれたキザキャラクターも居たようですが、彼は出来杉にその地位を取って代わられ、その後の出番はありませんから勘定には入れてません)
それで、その妹がやはり兄のあだ名を引き継いだ、だから「ジャイ子」というあだ名なんだ、という説もあるようです。

しかし第1話。セワシたちがのび太の配偶者としてあげていたのは「ジャイ子」。いくら何でも直系の子孫たちが先祖をあだ名で呼ぶというのは考えがたいのです。なんらかの文書記録を読んだと見るのが妥当でしょう。
さらにジャイ子が茂手に対してドラえもんたちの手を借りて告白するエピソードがありました。
実際には台詞はのび太が担当したわけですが、このときも『ジャイ子』と名乗らせています。いくらなんでもあだ名で名乗らせるほどのび太もバカではないでしょう。

こう考えると「ジャイ子」というのは奇妙な名前はありますが、やはり本名なんでしょうね。
しかし両親も思い切った名前をつけたもんです。いや、「スネ夫」なんて名前もそうとう奇妙ですけどね。



その4 ドラえもんプラスはあれで終わりか

てんとう虫コミックシリーズの中で、40巻を超えるドラえもんはかなりの存在感を示しています。
でも、小学館の学年誌やコロコロ、「てれびくん」などドラえもん作品掲載誌をリアルタイムで読んでいた人々を中心に不満はありました。あまりに未収録作品が多かったのです。
「藤子不二雄ランド」という別出版社・別シリーズで収録されていたドラえもんにはてんとう虫コミックシリーズにはなかった話が散見されていたのですが、両シリーズを揃えるとなると出費もバカになりませんし、なにより収録作品の重複が避けがたいことになります。

(文庫本収録の短編小説などは今でもそういう事態にたびたび陥ります。ファン=コレクターというわけじゃないんですから迷惑な話ですが。)

いつの日か小学館で全話コンプリートをしてくれないのか。
書店でふと気付けば、ドラえもんの幻の最新刊をチェックしていた・・・というのは私だけではないでしょう?

しかし長く待っていると良いこともあるわけで。未収録作品は「カラー版ドラえもん」「ドラえもんプラス」の2シリーズで補完されることと相成りました。30年ぶりに『ミニカーガレージ』を読むことができるとは思いませんでしたね。

でも未収録作品のコンプリートには近づいたものの、それでも漏れた作品があったのは残念です。当時読んだはずの『はなバルーン』『正直電波』。そして黒歴史となったガチャコ登場話。

ドラえもん研究者というほどではない私でも抜けている作品のいくつかは即答できます。なぜにこうも分かり切った収録漏れを出すのか。小学館の意図がわかりません。これでは当時、てんとう虫コミックに抱いた欲求不満を再燃させるだけではないでしょうか。

作者の体調が思わしくなくなっていた時期の、おそらく藤子・F・不二雄先生にとって不本意であった完成度の作品を外したのは納得できるのですが、最盛期の傑作を省くとは。
ファンの1人としてはこのような形のシリーズ終了は喜べませんね。



その5 ジェネレーションギャップ

 帰省したおり、実家でドラえもんを改めて精読し気がついたんですが。
 現代の子供たちは、原作をどう思って読んでいるのか、と。
 
 初期の巻は私のような70年代生まれの人間が子供時代に読んでもちょっと古く感じ、なんのことかさっぱり解らないものもありました。
 首相が三木さんだったり、ママが池内淳子そっくりじゃないかと自画自賛したり。この辺、今の子供たちはそれこそ、おばあちゃんにきかなくては理解できないネタでしょう。
(三木首相に電話を掛けようとしたジャイアン達が入っていたのが旧型の電話ボックスだったということもわかってもらえないかも?)

 町内の人が『ダンシングオールナイト』をテレビ番組で歌って優勝したり、あたりからやっと私自身の時代観に追いついた感がありましたね。
 作中の芸能ネタ・テレビネタなどはどうしても古くなってしまうのは仕方ありませんね。

 民俗的に楽しむやり方もあります。のび太たちと現在の生活のギャップを意図的に探してみるのです。
 ちびまるこちゃんはこの辺をキモとすべく、意図的に描写していますが、ドラえもんの場合はリアルタイムです。ですから資料性はむしろ高いと思われますけどね。サザエさん(原作版)なんかもそうですが。

 描かれた当時の生活が垣間見える描写の例。

・空き地が数年間も放置されたまま

・授業中に廊下に立たされる

・銭湯がCMを依頼に来た

・野比家の電話はダイヤル式の黒電話

・自動販売タイムマシンでのび太が売りさばいていたのは鉛筆

・川に投棄したり、穴を掘ったりしてゴミを処理しているシーンが多い

・500円がまだ紙幣

・小学校でスーツの教師

 空き地なんて、いまじゃすぐに月極駐車場でしょうな。
 のび太の担任、現在なら間違いなく、教育委員会に処分を受けますな。
 銭湯に行ったことのない子供も今ではけっこうな数でしょう。
 シャープペンシルではなく、のび太の友達たちがこぞって鉛筆を買うシーンも現在ではまず考えられないし。
 ゴミ処理方法は当時の環境意識がうかがえますね。今なら不法投棄でしかあり得ない。(でも『のび太の恐竜』はこれが事件の発端になっているんだよなあ。)
 500円が紙幣だったことは今の20代でも知らない人々がいるかも。
 スーツの教師は中学校でもかなり少数派に。高校は多いんですけど。小学校だとジャージ姿の教師の方が多いくらいですしね・・・というか、彼のような威厳あふれる教師そのものが絶滅寸前かも知れません。


 時代の流れが想像を追い越してしまった例。

・小学館の学年誌が22世紀まで存続している
・パソコンやテレビゲームが一般家庭にさほど普及していない
・コンビニエンスストアは作中に出てこない
・短パンの小学生


 80年代までは好調だった小学館の学年誌。書店店頭で大々的に売られていた光景も今や昔です。
 のび太たちが嬉々としてプレーしていたゲームも、おそらくPS2の内容にも遠く及ばないものだったでしょう。
 コンビニも携帯電話も作中には現れず。(スネ夫宅ではコードレス電話は使ってましたけどね。)
 もっとも剛田商店がコンビニになっていたらそれはそれでイヤですけど。ジャイアンが制服着てレジ打ちしていたり。
 で、立ち読みに来るのび太たちを追い払うとか。あ、あんまり違和感ないか。

 短パンの小学生はもちろん、現在でも存在はします。でもドラえもん世界の短パン率は驚異的ですよね。長ズボンはジャイアンくらいですもの。
 もちろん「藤子不二雄独特の子供としての記号」の可能性が高いのですけど。



その6 なぜドラえもんを使わない?  〜野比家の大人たち〜

 野比家居候という身分に甘んじるドラえもん。
 野比家に食費を入れている様子もありませんから、やはり居候なのでしょうな。ドライライトを売ったり、いろいろ自分の道具を使ってちゃっかり小金を稼いでいるようではありますが。

 さて大人となって改めてドラえもんを読み返しますと、どうにも野比家のパパ・ママのドラえもんへの接し方に疑問を持ってしまいます。
 タダ飯喰いという点は「のび太のペットだ」という認識でも説明できますがそうでもないようですよね。ペットにキャンプの引率は任せないでしょうし。

 そもそも、あれほど便利な道具を多々持っているのにそれを借りようとしない点も理解しがたいです。のび太の小遣いは無断で借りるクセに。(これも考えてみればひどい親ですが。)
 通勤地獄で苦しめられているパパがなぜに「どこでもドア」を通勤に使わないのか?なぜに置き場もないのに運転免許取得に執念を燃やすのか。ドラえもんの道具を使えば社内での昇進など思いのままなんですけどね。というか、セワシの代の経済状態を良くしたいのだったらパパを出世させた方が手早いという気もするんですが。
 
 むしろ道具を活用しているのはママの方です。しかし彼女の場合、のび太監視やお仕置きのために道具を使う傾向はあるんですが、緊急時はともかく家事を楽にするために活用するという意識は低いようですね。「グルメテーブルかけ」があれば専業主婦業もだいぶ楽になるし、なにより食費・光熱費の削減に貢献できるのですが。たまたまドラえもんがその時出している道具に便乗することはあっても積極的に借りようとすることはまずありません。

 パパ・ママの意識としては、のび太よりはマシだとしても、ドラえもんはまだ子供だと思っているのではないでしょうか。子供の特技に関して親は往々にして過小評価するものですし。ドラえもんの道具もオモチャだと見なしているのかも知れません。また、子供に大人が頼るのはみっともない、という意識があるのかも。そうだとしたら立派な大人ですね。

 では彼らはなぜにドラえもんの居候を許しているのか?
 それは彼のおかげで自分たちが相当に楽ができているためなのではないでしょうか。本来、自分の息子に対してあれこれ面倒を見なくてはならない部分のかなりの面をドラえもんに任せているのは事実です。宿題の見張りとか。目覚ましとか。旅行の引率とか。
 のび太は水準を大幅に下回るダメ息子なのですから、両親に掛かる負担も相当なものになるはずなのですね、本来は。実際、いじめられっ子や引きこもりや不登校の子供を持つ親は心身共に疲れ切っていますからね。そこまで酷くはないにしても、のび太の世話はかなりの労力を要するはずです。
 なのですがドラえもんが保護者業の肩代わりしてくれている分、彼らには余暇が出来、息が抜けます。でないとゴルフだ華道だなどとは言っていられないかも。
 それをドラえもんの最大の存在意義と捉えているのではないでしょうか。

 ママに関しては別な見方もできます。
 ドラえもんの道具を使うことで家事の軽減は確実にできるでしょうが、そうなると専業主婦としての立場が危うくなる。外に働きに出たいという主婦であれば願ったり叶ったりなのでしょうが、彼女が専業主婦という立場に固執しているとすれば逆にそれは回避したいはずです。ママも稼いでくれれば野比家の経済状態も好転しますでしょうし、もしかしたらパパも共稼ぎを望んでいるのかも知れませんけど。



その7 パパの正体はミスターX!?  〜野比家の大人たち 2〜

 『のび太のパパの正体はプロゴルファー猿の敵・ミスターXだ!』

 とネタを書いていたのは大昔のログイン誌だったような。大笑いしました。
 まあ、作者も同じ(当時はFとAの分業体制が公然とは認められていなかったような)だし体型も似ているし。にしてもパパのゴルフの腕はあまりに・・・でしたが。


 それは笑い話にしても、彼の仕事は何なのでしょうね。

・スーツを着て通勤。荷物は紙封筒くらい。
・管理職ではないらしい。
・電話を掛けるとまず会社にいる。
・その割には大阪出張とか長距離出張もある。
・社長が避難し野比家にやってくる。


 まず、月給がどうたら言ってますから、給料取りであることは間違いないでしょう。
 また社長が出てくるということは公務員ではなく民間企業所属。
 その社長はあっさり社員の自宅にやって来るのですから、大企業ではないですね。松下幸之助クラスの社長が秘書も連れずに社員の自宅にふらりとやってくることなんてある訳ないし。部長クラスが直接のび太パパをいじめることができるようなのですから、あまり大きな会社規模ではあり得ないでしょう。
 部長・課長が登場してますし、部長はそれなりに高い地位らしいので家族経営の小企業レベルってことはないでしょうし。少なくとも中企業レベルのお話でしょうね。
 
 では次なる疑問。彼の職種は?
 取引先と飲み会が、なんて話はなし。
 でもその割にはゴルフには頻繁に行ってますね。でも取引先を勝たせるような接待ゴルフというような感じでもないようですし。上司と参加してますもんね。
 となれば営業マンという線は消えるような。

 ・電話を掛けるとまず会社にいるのですから・・・となると人事部か総務部か。
 あるいは会社特命でミスターXをやっている時間もないとは言い切れなかったり。







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